女性は「現実的」だというが

福岡伸一『できそこないの男たち』によると、オスはメスに比べて個体間でのばらつきが大きく、寿命も短いとのこと。
これは人間にも当てはまる。

男性のほうが女性よりも生物としての安定性が低いなら、知能に関しても男性のほうがばらつきが大きいという推察もできる。

これは、超天才と超バカは男性に多く、女性は優等生であることは多いが、飛びぬけて天才、もしくはバカという人は少ない、という世間の感覚とも一致する。





女性は「現実的」だとか「安定志向」だとか言われるのは、女性が生物として安定的で、それが思考にも表れているからなのかもしれない。

ただ、ここでの「現実的」というのは、決して「合理的」ではないと思っている。
この「現実的」という言葉を言い換えると、「リスクを嫌う」、「変化を嫌う」、「同調」という言葉が当てはまるんじゃないだろうか。

つまり、女性の「現実的」とは「普通」であり続けたいということ。
そしてこの「普通」というのは世界基準で普通ではなく、自分を中心としたごく狭いコミュニティでの普通を指しており、これが非合理的な考えに繋がってしまう。

日本の女性が考える「普通」というのは、そこそこの大学を卒業して、そこそこの会社に入って、そこそこの収入の男性と結婚して、子供が生まれたら会社を辞めて、専業主婦かパートというものじゃないだろうか。

はっきり言って古臭いし、経済的にも非合理的だが、でも未だにこう考えている人は多いと思う。

周りと同じ「普通」であることは居心地がいいかもしれないが、それに執着しすぎると視野が狭くなる。

もちろん、これが女性全員に当てはまるなんてことは思っていない。
知能の高い女性は何事も冷静に考えて、合理的な判断を下せるだろう。

でも、知能が低い女性はどうしても「普通」にこだわり、非合理的な判断をしがちだ。
現代社会は、知能の低い女性には住みにくいところではないだろうか。


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