麻雀における「流れ論者」について

私はたまに麻雀をする。
麻雀をしない人にはよく分からないかもしれないが、プレイ中に「流れ」がどうのこうのと言う人がよくいる。

自分の手牌が良かったり、自分が和了ったりすることが連続すると「流れがいい」と言い、逆に自分の手牌が悪かったり、自分以外が和了ったりすることが連続すると「流れが悪い」と言う。
そして、このように麻雀を「流れ」で論じる人を「流れ論者」という。



当然だが、麻雀に「流れ」なんてものは存在しない。
麻雀は確率のゲームだ。
連続で和了ったりすることがあるのは、単純にランダムの偏りである。
偏りがないならそれはランダムではない。

つまり、流れ論者は確率を理解していないのだ。
しかし、確率を理解しないと麻雀は理解できない。
そこで流れ論者は、「流れ」という概念を作り出して、麻雀を無理やり因果論で理解しようとするのだ。
ただ残念ながら、「流れ」はランダムの偏りの結果に過ぎないのだが。

そもそも人は、確率論を直感的に理解することができない。
何でもかんでも、因果論で理解しようとする。
これは人の本能であり、遺伝子によってプログラムされているからどうしようもない。

そんなわけないと思う人もいるかもしれないが、もし人が確率論を直感的に理解できるようになっているのなら、この世に宝くじを買う人がたくさんいることを説明できない。
この辺の遺伝に関する話は別記事でも書いたから、そちらも見てほしい。

「友達いないだろ?」と煽るやつ
麻雀が強い人は、直感的に因果論(流れ)で考えようとする自分を抑えて、確率論で考えようとする。
こういう人は頭がいい人である。
逆に、何でも直感的に判断する人は頭が悪い。

もしあなたが麻雀をしていて、同席者に流れ論者がいたら、「この人バカだな…」と思って温かく見守ってほしい。


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