お節介をしてはいけない

良かれと思ってしたことが、相手にとっては迷惑だったというのはよくあることだ。

この「相手にとっては迷惑」というのには、相手の主観が強く反映されているから、たとえ客観的見て有益なことをしたとしても、お節介になってしまう。

このことから、お節介というのはされた側だけでなく、した側にも害しかない。
いくらその人のことを思っていいアドバイスをしても、相手から拒絶されたり、相手の怒りを買ってしまうことになるからだ。

私はお節介をしたこともされたこともあるから、両者の気持ちは何となく分かっているつもりだ。



例えば、子供が公園で楽しくサッカーをして遊んでいたとする。
そこに大人がやってきて、「パスの仕方がなってない」とか、「ポジション取りが下手」とか言って、やたらと技術を教えてきたら、子供たちはどう感じるだろうか?

たとえそれがプロで通用するような完全に理に適った内容でも、子供たちからしたら迷惑に感じるだろう。

子供たちはただサッカーを楽しんでいただけである。
別にプロを目指して練習しているわけではない。
技術だとか戦略だとかはどうでもいい。
現状で満足しているのだ。

・・・

現状で満足している人にあれやこれや言うのは、その人を不快にさせ、怒りを買うことになる。

その人がどれだけ間違っていても、どれだけ非効率なことをしていても、相手が求めていない限り、正しいやり方や効率的なやり方を教えようとしてはいけない。

場合によっては、相手はまるで自分の人格を否定されたかのように怒り狂うだろう。

そんなことになっては誰も得しないのである。


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