「インスタ映え」が思いっ切り没個性なわけ


インスタグラムにいい感じの写真をアップロードして映えさせることを「インスタ映え」と言って、去年から流行っている。(今も流行っているのかな?)

みんな頑張って「個性的」な写真をアップしているようだが、残念ながらあんなもんに個性もクソもない。

むしろ、個性とは180度違う没個性の極みとしか言いようがない。



インスタグラムにアップされている写真の中には、確かに見栄えするものもある。

それらの写真1つ1つは違ったものではあるが、しかしながら、その方向性は全く同じである。

それは、その時その時で流行っている、みんながいいと思っていることだ。

平たく言えば、「リア充的な」「キラキラした」ようなものだ。


個性を発揮して、周りからよく思われようとしているつもりかもしれないが、皮肉にもみんな同じ方向を向いているので、逆に個性がない。

どの写真もコンセプトが同じなので、似たような写真ばかりになってしまい、只々いい感じの写真素材が量産されているだけなのが現状である。

別にいい感じの写真が撮りたいだけなら、もちろんそれで何も問題ないが、それで個性が発揮できていると思うなら、それは大きな勘違いである。

個性を発揮したいと思っていても、そのやり方がみんながいいと思う方法なら、結局は他人と同じことをしているだけだ。


本当に個性的なら、他人からは理解されないことが多いし、場合によっては他人を不快にさせることもある。

しかし、それだとみなさんの底なし沼のような承認欲求は満たされないのでしょう。

ただ、他人と同じことをするということは、無数の競争相手と争うことであり、凡人はその中に埋もれる可能性が非常に高いので、むしろ承認欲求を満たす方法としては非効率な方法だということは理解しておいたほうがいいと思う。


0 件のコメント :

コメントを投稿