労働で承認欲求は満たせなかった


世間一般で労働と言えば、「人とのつながりによって承認欲求を満たし、能力を生かして自己実現するためのもの」というイメージ、というか圧力が強いです。

こういう「労働は美徳」みたいなイメージは、部分的には正しいと思うので否定はしませんが、一方で、労働が嫌いな人も相当数いると思われます。

世間のイメージなんてものは、声のでかい意識高い系の人によって作られていることが多く、こういう人は大抵ポジティブな面だけをごり押ししてきます。

対して、労働が嫌いな人もたくさんいるにも関わらず、こちらの考えが一般的でないのは、ネガティブな意見を表立って発言することが良しとされない風潮があるからでしょう。


かく言う私も労働は大っ嫌いです。そりゃあ無職になりたがるくらいですから。

これまでバイトから正社員までいくつかの仕事をしてきましたが、全ての仕事において承認欲求なんて全く満たされませんでしたね。

人の役に立つのが好きとか言う人がいますが、私にはそういう性癖はなく、逆に周りの人が私のために役に立ってほしいと思ってました。

結局、私にとって労働はお金を稼ぐための手段でしかなく、退職時はいつも解放感しか感じなかったです。

こういう考えの人間をクズと切り捨てるのは別にいいですが、しかし、おかしな考えでもないと思うのですよ。

そもそも労働って、人がやりたくないことをすることでその対価をもらう行為ですから、お金のために嫌々やることは何もおかしくないはずです。

もし労働がそんなにいいものなら、給料なしでもみんな働くはずですが、実際はそうなっていません。

むしろ、労働にポジティブなものを見出すほうが、特殊なのではないでしょうか。


まあ、中には「お金のために働いているんじゃない」と言う人もいますが、一部の本当にすごい人を除いて、ほとんどの人は孤独と暇の解消の手段に過ぎないという印象です。少なくとも私の周りでは。

確かに、労働は孤独と暇を解消するのに最も手っ取り早い手段ですからね。

しかし、そういう理由で働いている人も、仕事自体は好きでないことが多いです。

そんなことのために、好きでもない仕事にすがるのはどうかと思いますが、本人がいいのなら何も言えません。

私はそうならないように、せいぜい頑張るとします。




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