GW中はずっと、ニコニコ動画で無料公開されていた『涼宮ハルヒの憂鬱』と『とらドラ!』のアニメを見ていた。
両作品とも2009年放送と言うことで、9年前の作品になる。
当時私はリアルタイムで視聴していたので、今回9年ぶりに見返したわけだが、非常に面白かった。
やはり名作と言うのは、ストーリーに普遍的な面白さがあり、いつ見ても楽しめるのだろう。
しかし、両作品を見ていて、少し気になることがあった。
それは、どちらも作中に携帯電話(ガラケー)が出てくることだ。
ガラケーは、これらの作品が放映されていた2000年代を象徴するものである。
2010年代からは、スマートフォンが普及し、ガラケーは一気に時代遅れの遺物と化してしまった。
で、こういう時代を象徴するものが作中に出てくると、どうしてもそれに気を取られてしまう。
どんなに面白い作品で、それに没頭していても、「ああ、この作品はこの時代の話なんだったな…」と、現実に引き戻されてしまう。(歴史ものの話は別)
まあ、個人的にはガラケーは比較的最近のもので、どういうものかも知っているので、作中に出てきてもそこまで違和感はなく、「懐かしいwww」くらいの気持ちだが、もっと若い世代だと、ガラケーを見ても「?」となるかもしれない。
私だって、作中でポケベルで連絡を取り合っていたら、「え?」となるだろう。
ポケベル自体の存在は知っているが、「いつの時代だよ!」と心の中で突っ込まざるを得ない。
ガラケーが登場している作品は、後10年くらい経つと、相当違和感を感じるものになっているんじゃないだろうか。
そして、今スマホが登場している作品は、後数十年経てば、同じようになるかもしれない。
「ああ、あれって確か2010年代あたりに流行ってたやつだよな…」って。
ちなみに、漫画家の岡本倫先生はこのことをよく理解されていて、以下のように述べている。
エルフェンリートを描く前の事。あだち充先生のみゆきを読んでいて、30年以上前の作品なのに全く色あせずに面白かったのですが、五百円札が出た時にこれは昭和の漫画なんだと現実に引き戻されました。なので自分が漫画を描く時は、10年後に読まれても時代がわからないようにしようと思いました。— 岡本倫 (@okamotolynn) 2016年6月25日
だからぼくの漫画には携帯電話がほとんど登場しません。10年後の携帯電話がどうなっているかなんて想像出来ないからです。家電も登場しませんし、出る車も古い車ばかりです。そんな風に出来るだけ描かれた時代がわからないようにしています。— 岡本倫 (@okamotolynn) 2016年6月25日
この言葉の通り、岡本倫先生の作品には携帯電話をはじめ、時代を象徴するものがほとんど登場しない。
時代を経ても色褪せない作品とは、ストーリーに普遍的な面白さがあることがもちろん一番重要だが、その時代を感じさせないようにすることも、結構重要なんじゃないかと思うわけです。
岡本倫先生の代表作
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