自分よりバカな人は必要

Twitterでは、日々バカな人を見つけては晒し、批判することが繰り返されています。

私もそういうのを見つけては、「この人バカだなあ」と思うこともよくあります。

バカを批判する人たちは、ただ憂さ晴らしをしたいだけなのか、人々を正しい方向に導きたいのかは知りませんが、彼らにとって、バカな人たちがいなくなること(賢くなること)は、あまりいいことではありません。


もし、世の中のバカな人たちが賢くなってしまうと、それを批判していた側の人は、相対的にバカになります。

その人の社会的な価値というのは、相対的なもので決まるわけでして、周りが賢くなると自分の価値が下がってしまうのです。

特に、周りよりちょっと賢いだけで、他人を批判してアイデンティティーを保っているような人は、バカな人がいなくなったとたん存在意義がなくなります。

「なんでそんなにバカなんだよ。もっと賢くなれよ」と口では言っていても、本当に賢くなったら一番困るのは、それを言っている人です。

まあ、実際賢くはならないですけどね。

ただ、そう言わないと自分の存在価値を示すことができないという側面もあり、この辺は矛盾をはらんでいると思いますね。

頭のいい人が、賢くなる方法論を説きまくっているのは、それで本当に賢くなる人なんてほとんどいないということを分かっているからでしょう。たぶん。

だって、それで本当にみんな賢くなったら、自分が困りますからね。

というわけで、自分よりバカな人っていうのは、実は(できればたくさん)いたほうがいいんですよ。

これは「幸せ」にも通ずることで、人は自分より不幸な人がたくさんいるほうが幸せだと感じます。

本当はそういう相対的なものではなく、自分が幸せだと思える絶対的なもので満足するのがいいと思うのですが、なかなかそうはならないのが人間なんですよね。





1 件のコメント :

  1. まあ確かにな
    社畜煽りなども、社畜から抜けだす人が多くなると煽れなくなるもんなあ

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