「自由には責任が伴う」という言葉の意味


「自由には責任が伴う」という言葉があります。

この言葉の意味は、「自由だと責任が重い」ではありません。

「責任の重さ」は関係なく、「誰が責任を取るか」が重要なのです。


例として、「看護師」と「画家」を比較してみます。


看護師は、病院という組織に所属しているので、仕事上の自由はほとんどありません。

しかし、患者の命を扱うという意味では、かなり社会的責任の重い仕事でもあります。

もし、看護師のミスで患者を死なせてしまった場合、責任はすべてその看護師が負うのかというと、そうではありません。

余程のことではない限り看護師はクビにはなりませんし、責任は病院全体で負います。

もし、患者の遺族への賠償金支払いで病院の利益が減ったとしても、その影響は職員全体に行き渡ります。

つまり、不自由な環境なら、責任は広く薄く分散されるのです。


一方、画家の場合、自分の好きなペースで絵が描けるので、仕事上の自由はかなりあります。

しかし、絵の仕上がり具合によって迷惑する人はいないので、社会的責任はほぼ皆無な仕事です。

もし、この画家がスランプに陥って絵が描けなくなった、もしくは売れなくなった場合、それに伴う責任は、収入減という形でその画家一人が負うことになります。

自由な環境の場合、たとえ責任は軽くても、責任は自分一人に一点集中するのです。

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私もサラリーマンをやっていたときは、仕事で何回かミスをしました。

おそらく私のミスで会社の売上は減ったと思いますが、当然私はクビにはならなかったですし、それどころか減給もされていません。(ボーナスの額で調整されたかもしれませんが)

私のミスによる売上減の責任は、会社全体に薄く分散されたのです。

ということで、やはりサラリーマンというのは、典型的な「不自由には責任が伴わない」状態だなと思うわけです。


何が言いたいかというと、ここはセミリタイアブログなので、セミリタイアに話を移すと、セミリタイアは完全に自分の裁量でやることなので、その責任(投資の失敗、副業の失敗、想像以上のインフレ)はすべて自分一人に降りかかってきます。

セミリタイアに失敗して野垂れ死んでも誰も哀れんでくれないでしょうし、正に究極の自己責任と言えるのではないでしょうか。


1 件のコメント :

  1. 家族や親族には迷惑が行くかもしれんけどな
    そこは一番のなやみどころだろうな

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