承認を求めすぎると不幸になる


人間は誰しも承認欲求を持っています。

私がブログをやっているのも、承認欲求が多少はあるからです。もしそんなものがなかったら、ブログもTwitterもたぶんやってないでしょう。


世の中には承認欲求の強い人が少なからずいます。

その強い欲求に従って、何かしらの偉業を成し遂げることで他者からの承認を得る人もいますが、中には犯罪・迷惑行為の動画をアップしたり、SNSで無茶苦茶な主張をしまくって共感を得ようとしたりと、変な方向に行ってしまう人も多々います。

なぜそんな変な方向で承認を得ようとする人が多発するのかと言うと、他人から承認を得るのって基本的に難しいからだと思うんですよ。

やはり、それなりの能力や実績がないと、普通は周りからは認められません。

難しいから正攻法ではなかなか満たされなくて不満が募り、間違った道に行きがちなんじゃないでしょうか。


こういうのって、ネット上の変な人だけじゃなくて、普通に働いている人にも当てはまると思うんですよ。

私の周りには、「働くのはお金のためだけじゃない」と言う人がいます。

労働に「お金以外のもの」を求めているわけですが、何を求めているかというと、やはり他人からの承認でしょう。(もう少し高尚な「自己実現」かもしれませんが)

そして、そう言っている彼らは楽しく働いているのかというと、全くそんなことはなく、得てして仕事自体は嫌っています。

しかし、働いていないと他者との繋がりが切れる(=承認が得られない)ので、それを恐れて嫌いな仕事でもしがみついているわけです。

ここ最近のすごい低賃金でも働く高齢者なんかも、正にこういう人たちでしょう。

ただ、上でも述べたように、他者からの承認は簡単に得られるようなものではないので、そのために辛くて嫌いな仕事にしがみついていては疲弊するばかりです。

やっぱり得るのが難しいもののために躍起になっていると不幸になるよなあと、つくづく思いますね。

かと言って、「自分は無価値だ」と真正面から受け入れると死にたくなるので、そこはバランスが必要なんでしょうね。


1 件のコメント :

  1. いや承認なんかまったくされない境遇になったけど幸せだけど

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