今の世の中、「努力する人が偉い」という風潮が蔓延しています。
他人に依存せず、とにかく自助努力する人は、ほぼ手放しで称賛されます。
もちろん自助努力すること自体はいいんですが、逆に「努力しない=悪い」という風潮もかなり強いです。
特に、努力してない人が不利な状況に立たされたときの、周囲からのバッシングは強烈です。
「お前のせい」「自己責任」とボロクソに言われます。たとえ努力してもうまくいく見込みが低くても。(なお、努力した人も失敗したら自己責任でバッサリ切り捨てられます)
そんなみんな大好き自助努力ですが、その中でもサラリーマンは無限の自助努力を求められるものの1つです。
会社をやめない限り、常に成果を出して出世することが求められますが、冷静に考えたら社員全員が成果を出し続けられるわけでもないし、出世するにしても部長や役員クラスまで行けるのはごく一部です。
そう考えると、平凡な社員は下手に努力せずに「課長どまり」や「万年平社員」に甘んじていた方が合理的ですが、こういう人たちを「自分の能力を理解して合理的な判断をした」と評価する人はいないでしょう。
大抵は「無能」「努力が足りない」と蔑まれます。
世の中、努力してもどうにもならない人はザラにいるわけで、そういう人にも自助努力を煽って、うまく行かなくても「自己責任だし知らね」と無責任な態度の中途半端な強者のインフルエンサーなんかが私は嫌いなんです。
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このように自助努力と競争が称賛されるのは、今の世の中が資本主義だからです。
資本主義社会では、人々の無限の努力と競争で経済が発展したわけですが、その恩恵の多くをあずかれるのは一部の成功者だけで、多数の敗者は自己責任という名のもとに切り捨てられます。
成功者になれる強者からしたら弱者の尻ぬぐいなんぞしたくないので、弱者は泣き寝入りしてもらったほうが都合がよいわけです。
また、自分が強者であるには自分よりも相対的な弱者がいてもらわないと困るので、そういう意味でも自己責任は都合がいいのです。
で、それが格差拡大に繋がってるわけなんですな。
セミリタイアも自助努力したからできるのだから、それはそれでいいんじゃない?
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