私の考え方はどちらかというとミニマリズムに近いです。
現代社会ってミニマリズムと相性いいですよね。
必要なものはいつでもスーパーに売ってるから備蓄の必要はほぼないし、近頃はシェアリングエコノミーの登場で、何でもレンタルで済ませることができるようになってきました。
不要なものは買わない、使用頻度の低いものはレンタルで済ませれば節約になりますし、物が少なければ狭い部屋にも住めるので住居費を下げられます。
というわけで、物が少ないことは基本的にはいいことのほうが多いと思います。
ただ、日常的に目に入る広告は必死に私たちに物を買わせようとしており、その誘惑に打ち勝つのは結構難しいので、「物を減らす」と口では簡単に言えても実際にできる人は少ないわけで…
物を減らすには、物を買わないことと、今ある物を処分することが必要ですが、今回は後者の話です。
結論から言うと、感情を排して物を使うか使わないかだけで判別し、使わない物を処分すればいいだけです。
しかし、人は物に「思い入れ」だとか何とか言って執着するので、言うほど簡単じゃないし、誰にでもできることではありません。
私も最初からこれができたわけじゃないですし、今も完全にできるわけではないです。特に、何かしらのイベントでもらった「思い出の品」の処分は今でもやりづらいです。
現在実家からの引っ越し作業中ですが、亡くなった父親の遺品整理は私がやっています。
その中には、昔の写真のアルバムや、あからさまに思い出が詰まってそうな物など、捨てにくいものが結構ありました。
これらの遺品を見ていると、在りし日の父親の姿が頭に浮かんできて、とても懐かしい気持ちになれるのですが、だからと言って引っ越し先に持って行っても置き場所に困るので、心を鬼にして処分しました。
幸い、今はデジタル技術の発達で、こういった遺品もデジタルデータとして残しておくことができます。
特に、写真はスキャンすればほぼ遜色ない形で保存できますし、立体物の場合は写真を撮っておけば、それがあったという記録は残せます。
その後遺品の実物を捨てるのはさすがに心が痛みましたが、でもいくら思い出が詰まっているとは言え、所詮物は物です。重要なのはその物にまつわる思い出で、それはデジタルデータに変換したとしても消えません。
父親の思い出は、全てハードディスクと私の頭の中に残しました。それで十分です。
ちなみに、今回の父親の遺品整理に合わせて、私の「思い出の品」も一緒に処分しました。
父親のものだけ捨てて自分のものは捨てないのは、何となくフェアじゃない気がしたんですよね。
というわけで、記録に残したいものだけ写真に撮って、あとは処分しました。
やっぱり使い道のない物はさっさと処分するのがいいです。
ここで言う「使い道」は、手に取って眺めるようなことも含んでいます。それすらせずに押し入れで眠ってるだけ物は、スペースを占領するだけでいいことはありません。
「坪単価」という言葉があるように、不用品が占有しているスペースにもお金がかかっているのです。不用品をため込むのはその分損していると思えば、物を減らす気にもなるかもしれませんね。
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